ロクスタ・ジェンテシステムは、人間とバッタの能力を融合させたシステムである。 微粒子昆虫研究所の名のとおり、微粒子状になったアーマーを体に一時的に侵食させるシステムであるため、侵食してはじめて実体が現れる。 そのため、研究所で行われていることは主に微粒子の成分や量の微調整。特にここ数年はそういった地味な作業の繰り返しであった。 「・・・できたぞ・・・」 夜8時、ロクスタ・ジェンテシステムは完成した。 研究室で笑い声が聞こえるのはいつ以来だろう。誰とも知れず拍手が巻き起こり、やがて総勢100人ほどの研究員に伝染した。 心なしか、研究室のジメジメした空気が換気されて、新鮮な空気が循環してきたような気がした。 「お、おわったぁ〜」 トイレはたった数時間の作業が相当腰にきていたらしく、身体を90度えび反りさせた。 周りの研究員たちも、つき物が落ちたとでもいうような表情をしている。特に研究初期から関わってきたベテラン研究員たちの安堵の表情と言ったらない。 この日のために、雨の日も風の日も研究所通いだったのだから。 「裕也、どうしました」 テンシンは、裕也の様子がおかしいことに気づいた。見ると、うつむいて肩が震えている。 「テンシン・・・」 裕也は顔を上げると、大きな瞳をキラキラと輝かせて、両手を合わせて胸の前に置いた少女のような体勢で、ニパーッと笑顔になった。 「今、みんなすっごく輝いてるね!!」 「え、ええ、そうですね、みなさん達成感に満ちた表情で・・・」 そういうと、手をめいっぱいに広げて裕也は天を仰いだ。 「みんなの笑顔に囲まれて、俺は今しあわせです!」 あまりに大げさな感情表現に、田村をはじめとした研究員らや、友人の2人さえ唖然とした。声をかけたのは貴大だった。 「たったの数時間手伝っただけだっていうのに、やけに大げさだな。まあそれも分からんでもないがな。なんと言っても、お前は世界を救う正義のヒーロー、仮面ライダーの誕生に立ち会えたんだからな」 ああ、またか・・・といった様子で、研究員たちは少々うんざりした顔を見せた。 貴大は若い研究員たちにとって目標であり、頼れる男である。実際リーダーシップがあり、威張り屋ではあるが部下思いであった。 だが彼の語る仮面ライダーの話にだけは、「大の大人が子供みたいな夢を・・・」と、完全に呆れていた。 「仮面ライダー・・・?なんすかそれ?」 トイレが貴大に質問した。田村たち研究員は、それだけは言って欲しくなかったといった顔をする。貴大が仮面ライダーを語りだすと、長いのだ。 本当なら小一時間はライダー談義が続くはずだったが、テンシンの一言がそれを止めた。 「仮面ライダー・・・昭和や平成の頃の子供向け番組がどうしたと言うのです。」 「なに?」 貴大の顔色が変わった。 「あなたのような国家の存亡に関わる仕事をされている方が、公私の区別もつかず、子供じみた私利私欲でもって戦争兵器の開発に関わっているとはね。残念です。」 「おい、お前、貴大さんになんてこと・・・!」 口を挟もうとした田村を、貴大は右手で制した。 「俺はこれでも、公私混同はしていないつもりだ。それに、欲だと?そんな汚い言葉は捨てろ。これは『夢』だ」 「夢・・・?くだらない。この研究室の人間の多くが、すでにあなたについていけないと思っているのに、それでもそれを貫くというのですか」 冷静を装っていた貴大だが、自らの夢まで馬鹿にされたとなればそうは言っていられなくなる。すぐに貴大は、冷静さを装って寛大な大人を演じつつ、テンシンの胸ぐらに掴みかかった。 うっすら自覚していた現実が、くっきりと顔を出すのを貴大は心の奥底で恐れていた。 「ここの責任者は俺だ。キサマ、あんまりくだらないことで騒ぐようなら、力ずくでも出て行ってもらうぞ」 「いい年して暴力に訴えるとは、程度が知れますね」 テンシンは、あくまですました顔で答える。貴大の反応を、からかっているようにも見えた。 「やめてよ二人とも!!」 途端に、あたりがシンとした。一瞬、誰が言ったのかわからなかった。女性のように通りのいい声は、声変わりの途中にある少年のそれに似ていた。 声の主は、裕也だった。 「smile・・・笑顔ですよ!みんなで拍手したとき、二人とも幸せそうでした。だからまた、ニーッって」 裕也は、貴大の前に立つと、貴大の口を両側からひっぱり、無理矢理笑顔を作らせた。 「ひゃ、ひゃめろ、いひゃい、はらせ、だあもう、やめんか!」 必死の思いで裕也を押しのけた。貴大は部下の前で恥をかいたからか、顔を少し蒸気させ、肩で息をしている。 「し、信じられんやつだなキサマ・・・!」 「わきの下コチョコチョしたら笑ってくれますか・・・?」 「笑うか!上司に対する礼儀が全く出来ていないようだなキサマらは!ったく、胸糞悪い・・・」 それを聞いたトイレが慌てて間に入って、テンシンと裕也の腕を掴んで出口に引きずっていった。 「す、すいません、よ〜く言っときますんで!お先に失礼します!うっす!」 「たかひろさーん、すまいるすまいる!」 引きずられながらも裕也は声をかける。 「はいはい俺らの部屋に戻るよ裕也っ!」 バタンッ 観音開きの赤い扉が、勢いよく閉まった。 イギリスから来たお騒がせ研究員たちがいなくなった研究室に、静寂が戻った。 年下に弄ばれる貴大の姿なんて、長年付き合ってきた研究員たちだってこれまで見たことが無かった。 システム完成日にこんな珍しい姿が見れるなんて、ちょっとしたご褒美だな。研究員たちはそう思った。 「どうした、なにかおかしいか?」 「い、いいえ、なにも」 「ふん・・・」 プルルルル、プルルルル そのとき、貴大の携帯が鳴った。飾り気の無い、携帯に元から入っている着信音だ。 「スピカか。すまん、遅れた。すぐそっちに向かう。ああ、いや、もうとっくに完成した。別のことで少々手間取ってな。うん、そうか、わかった。69年のカステル・デル・モンテを注文して待っててくれ。切るぞ。」 貴大は電話を切った。 「おでかけですか?」 「ああ、スピカと食事の約束をな。見張りは頼んだぞ、田村」 「あ、はい、任せてください」 「それと、朝5時には戻って仮眠をとりたい。ベッドメイキングを誰かに頼んでおいてくれ」 「あ、それなら俺がやります」 「そうか、なら頼んだ」 スーツに着替えると、貴大は横浜のハーバーライトの中へ消えていった。あどけない裕也たち3人の研究員と違い、スーツがよく似合った。 「おーい、酒買ってきたぞー」 貴大とスピカが出かけている間、研究員たちの打ち上げがはじまった。 「でかした!俺ビールね」 「僕は、ええと、じゃあチューハイで」 酔いが回ると、上司への愚痴が際限なく湧き出てくる。2085年の酒だってそれは変わらない。 「チーフの言ってたさあ、カステル・デル・モンテってなに?」 「さあ・・・カステラの強化版?」 「イタリアのワインだよ」 「おお、さすが酒屋のせがれ!」 「俺たち平凡な研究員には贅沢すぎる代物さ。親父が日本支部の最高責任者だからって、おもしろくねえなぁ」 同じ頃、研究室から少し離れた空き部屋で、ひとつの悪意が息を潜めていた。 その悪意は、通信機のようなもので何者かと連絡を取っているようだった。 「予定通り、決行は今夜2時。案外簡単に手に入りそうですよ・・・」