この小説とも言い難い糞文章は、ヌルらじ新年企画の罰ゲームであります。 まだそちらを見ていない方は是非そちらの方から見ることをオススメします。 そしてこの小説のことなんか忘れて寝てください。こんな文読む価値ねぇよ……  この小説(笑)はフィクション、夢物語にすぎません。 実際の人物には全く関係ありません。むしろあったら困ります。オレ、コンナヒトジャナイ…… (!)随所に不快感を催す可能性がある表現が含まれています(!) それをふまえた上で読んでくださいませ〜    プロローグ  所詮、夢は夢でしかない。そのことを思い出したのはつい三十秒前のことである。  俺、川鳥ネオは常々思っていた。 「空を飛んでみたい」  飛行機やパラグライダーなどでは無い。自分の力で、背中から羽でも生やして。  今思えばなんてイタイ願望なんだ……。  もし三十秒前に戻って、昔の俺と話ができるなら迷わずこう言ってやるつもりだ。 「お前が思っているほど空を飛ぶってのは楽しいもんじゃない。イタイのは名前だけにしておけ」  空を飛ぶのに仰々しい翼なんか要らない。登校中に軽トラに衝突されて吹き飛ばされた挙句、植え込みにぶち込まれてみて分かった。  やはり人間は地に足をつけて歩くもんだな。うんうん。  くだらないことを考えていると、俺を理不尽な空の旅へと誘ったそれから一人の少女が降りてきた。あろうことか、少女は俺の学校の制服を着ていた。  ……知り合いなんだが……。  薄れゆく意識の中で少女の叫び声が聞こえた。 「フロントが凹んでる!」  ……それがどうした! こっちは頭が凹んどるわッ!  頭の中でツッコんだところで意識が途切れた。    第一章 ―卑怯の女神―  ――目が覚めるとそこは保健室のベットの上だった。  周囲を見回すと、可愛い少女が椅子に座っている。 「気が付いた?」  ニコッという擬音が似合うような微笑を浮かべながら問いかけてくる。  俺はなんだか気恥ずかしくなって黙り込んでしまった。 「全身傷だらけだけど大丈夫? 骨でも折れていたら大変だわ。触るから、痛かったら言ってね?」  そう言うと彼女はその可愛らしい手で俺の体を触ってきた。  ああ、なんて柔らかいんだ。男と女でこんなに違うんだ。人間ってフッシギー!  ……って、ちょ、まっ、え? マジ? そんな所まで触るの?  い、イヤァァァァァ! 「らめぇぇぇぇぇぇええ!」  ――目が覚めるとそこは先程突っ込んだ植え込みの中だった。  え?夢オチ?そんな馬鹿な、夢オチは駄目だってどっかの偉い人も言ってるぜ?  どうやらこの作品を作ったヤツはそこら辺を理解していないらしい。 「作者のバカヤロー……」  ……メタな発言をしてみたが、聞こえているだろうか。  多少ズキズキするが、頭は妄想ができる程度には大丈夫らしい。元々おかしいのは置いておいて。 「よっと」  植え込みに突き刺さったままの上半身を引っ張り出す。そのまま辺りを走り回ったり、飛び跳ねたりしてみる。  擦り傷はたくさん有るが……まぁ、動くのには問題無いか。  普通、車に轢かれて頭打ったら重症を負うんじゃないだろうか。こいつは丈夫な体に生んでくれた親に感謝しなければなるまい。  季節が春だったのもよかった。冬だったら凍死してたな。  うーん、それにしても人のことを轢いた挙句、そのまま放置していくとは……。 「俺じゃなかったら死んでいたぞ……」  なんかB級バトルマンガみたいなセリフだな……。  ……さて。  彼女に文句を言わねばなるまい。俺は校舎に向かって歩き始めた。  時刻は既に夕方になっている。  授業をサボることになってしまったが仕方ない。元々素行が良いほうではなかったし「彼女」が関係していると言えば先生も納得してくれるはずだ。  俺が向かったのは生徒会室である。  ノックは不要だろう。むこうだって断り無く俺のことを轢いたんだ、扉ぐらい無断で開けたってバチは当たるまい。横開きの扉を勢いよく開ける。  先刻俺のことを轢いた少女こと朝霧麻亜子先輩は生徒会長用の社長イス――明らかに高級そうなので生徒にそう呼ばれている――に、その全体的にちっこい体をふんぞりかえらせて座っていた。……パンツ丸見えだ。視線のやり所に困る。 (挿絵@)  役員は全員帰ってしまったらしい。生徒会室には先輩しかいなかった。 「色々説明してもらいたいのですが……まーりゃん先輩」  まーりゃん先輩というのは麻亜子先輩の愛称である。高校生にもなってまーりゃんなんて呼ぶのは恥ずかしい。  以前そのことについてツッコんでみたのだが。 「なんでい、なんでい! 自分だってネオりゃんって呼ばれてるくせに〜!」  と怒られてしまった。もちろんそう呼んでるのは先輩だけなのだが…… 「ふっふっふ、待っていたぞ! ネオりゃん! いいだろう、なんでも聞いてくれたまへ!」  なんだかよく分からないが待たれていたらしい。せめて救急車ぐらい呼んで欲しかった。 「何から聞けばいいのか分からないぐらい質問があるんですが……とりあえず、なんで学校に来てるんですか?」  俺は高校三年生である。本来「先輩」なんてものが学校内にいるはずがない。  まーりゃん先輩は俺より二歳年上。今は専門学校に通っていると本人から聞いている。  信じられないし、信じたくもないが、先輩は一昨年の生徒会長を務めていた。おそらくその可愛らしい容姿と、ある意味リーダーシップともとれる我侭さが生徒に評価されたのであろう。  ……その年の行事という行事がおよそ学校の物とは思えないぶっ飛んだものになってしまったのは言うまでもない。  意識を会話に戻す。先輩はアゴに手をあて、考え込むようなポーズをとっていた。 「理由か……暇だったから?」 「そんな軽い感じで来ないで下さいよ〜……」 「ヒドイ! ネオりゃんはあたしが来たのに嬉しくないのね〜!」  およよ……と、わざとらしく泣きまねを始めてしまった。  しかし、いきなり車で轢かれて嬉しいはずもない。さすがにそこまでMではない。  あまり構いすぎると図に乗って理不尽な要求を突きつけられるのでスルーすることにする。一年の頃はこの手で何回パシリに行かされたことか……。 「じゃあ次の質問なんですが」 「スルーかよ! なんだよ〜、今日のネオりゃんは冷たいな〜」 「人は日々成長していくものなのですよ。まーりゃん先輩」 「小さい頃はもっと素直だったのにな〜……。こんな風に育てた覚えないのにな〜……」 「育てられた覚えありませんので」  お互い、不敵に口を歪ませながら視線をぶつけ合う。 「ふふん、なかなかネオりゃんも言うようになったじゃないか!」 「こればっかりは先輩に感謝しないといけませんね……確かに一年の頃は可愛いもんだったかもしれません」  先輩はニヤニヤという擬音が似合いそうな笑みを浮かべている。 「そんなことはないぞ〜? ネオりゃんは今でもかぁ〜いいぞぅ? ……さっきからチラチラとどこを見てるのかな?」  ドキッ! 「へっ? あっ、いやっ、どこでしょう? さ、桜っ! そうそう! 窓から桜見てました桜! わ〜! 綺麗だな〜!」  本当はさっきから見えている女の子の神秘ゾーンに目が行ってしまっていたのだが…… 「むふふ〜、どうした? ネオりゃん顔が真っ赤だぞ〜?」 「そ、そんなことはないと思うんですけどね〜……」  マズイ、完全にペースを握られてしまった! 「ほらほら、ネオりゃんが大好きなパンツだぞ〜? チラッ!」 「あわわわわわわ!」  先輩がこうやって俺のことをからかってくるのは珍しいことではないのだが……  それでも、女の子にパンツを見せられるのなんか慣れるわけがないし、慣れたくもない!  こちらが脳みそショート寸前で慌てふためいていると、先輩はぴょんとイスから立ち上がって軽く腰を曲げ、手を後ろ手で組みながら上目遣いで俺のことを見つめてきた。 「おに〜ちゃ〜ん……まあこノドが乾いちゃった……オレンジジュース買ってきて……?」  ……  …………  …………………… 「それは反則だぁぁぁぁぁああああああああああああああ〜〜〜〜!」  五分後…… 「お納め下さい」 「うむ」  イスに座っている先輩の手にはオレンジジュースの紙パックが握られている。俺が購買の自販機で急いで買ってきた物だ。  飲み終わるのを待ってから話の続きを始める。 「はぁ……で、先輩、質問の続きなんですが……」 「いいだろう! なんでも聞いてくれたまへ!」  さっきも似たようなセリフを聞いた気がするんだが……うだうだ言っても話が進まないので気にしないことにする。 「あの軽トラはどうしたんですか? 前会ったときは免許なんか持っていなかったと思うんですが。まさか、盗難車じゃないですよね?」 「なかなか失礼なことを言うなチミは! 金貯めて買ったんだよ! 安いの探したらアレになったんだよ、文句あるかー!」  それにしたって他の選択肢があるだろうに……。 「ちなみにいくらだったんですか?」 「ふっふっふ、聞いて驚くなよ? なんと! お値段据え置六万円!」 「いやいや絶対おかしいから! それ車の価格じゃないからね!?」  本当に盗難車とかなんじゃないだろうか……。段々怖くなってきたので少しだけ話題を変える。 「で、免許は持ってるんですか? 段々それすら怪しくなってきたんですが……」 「仕方ないなぁ〜、ネオりゃんがそこまで言うなら見せてやろう! ほれ!」 「ほうほうどれどれ」  …………。  とりあえず結論。  こ れ は ひ ど い  まず名前がおかしい。“馬涼涼”……まーりゃんりゃん?  なんか全体的に漢字が間違ってるし……。免許賞ってなんだ。賞品か何かなんだろうか。 「なんですかコレ、ツッコミ所多すぎなんですが……。こんなのどこで手に入れたんですか?」 「なんだ、どうやったら免許取れるのかも知らないのか? まず教習所って所に行ってな?」 「いやいや知ってますよ! コレどこの教習所に行ったんですか?」 「歌舞伎町の裏路地」 「んな所に教習所ねーから!」 「あるぞ? ちゃんとそこにいた中国な感じのおじさんにお金払って作ってもらったんだからな!」 「怪しすぎるわ! 第一、馬涼涼って誰のことですか!? 麻亜子どこに行った!?」 「ああ、それに関しては安心しろ! 麻亜子も偽名だからな!」 「出会ってから三年目にして衝撃の事実が発覚したんですがっ!?」 「ふっ……アタシの身体を通り過ぎていくだけの男に名前なんていらないのさ」  この人はどこまで無茶苦茶なんだろうか……。  まぁ、とりあえずコレが真っ当な免許じゃないことは分かった。 「先輩、一緒に警察行きましょう」 「なんか自首勧められちゃってる!?」 「流石に無免許で人轢いちゃマズイですって……」 「大丈夫! ネオりゃんなら轢いても死なないという確信があったからな!」 「それなんか関係ありますか!?」 「い〜じゃんかよ〜。ネオりゃんが言わなきゃバレないんだしさ〜」 「そういう問題でもないと思うんですけどね……」 「それともアレか! お前はあちしを犯罪者にしたいのかー!」  うーん何か違う気もしないでもないのだが…… 「もう、面倒なんでどうでもいいです……」 「さっすがネオりゃん! 話が分かる〜!」  くそぅ、結局先輩に逆らえない自分に腹が立つ……。やっぱMなのかもしれない。悔しいけど。  先輩はそんな俺を見て満面の笑みを浮かべていた。この人はSだ。確実に。 「ネオりゃん、こういう時は『悔しいっ! でも感じちゃうっ!』って言うんだぞ?」 「絶対言いませんから!」  もうダメだ、完全に会話の流れを持っていかれてしまった……大体聞きたいことは聞いたからいいけれども……。  はあ……思わず溜息が出てくる……。なんでこの人はこんなに元気なんだろう……。 「なんだー? ネオりゃん、溜息つくと幸せが逃げるぞー?」 「誰のせいだと思ってるんですか誰の」 「仕方ない! 少しだけ俺の幸せを分けてやろう!」 「いえ、結構です!」  スカートに手をかける先輩をあわてて制止する。 「なんだよ〜、本当は見たいんだろ〜?」 「そ、そんなわけないじゃないですか!」 「むふふ、ネオりゃんがどうしてもっていうなら見せてやるぞ?」 「いやいや、さっきまで先輩が見せようとしてたんですよね!?」 「なんだよ文句が多いヤツだなー。このあちしのロリロリぼでぃーを想像して毎晩発情してるくせに今更パンツの一枚や二枚どうってことないだろ〜?」 「ロリとか発情とか女の子が大声で言わんでください!」 「くくく、してることは否定しないのか?」 「うわあ! いや、それは、ないですヨ? ちょっと言う順番が前後しただけでそっちも否定するつもりでしたからね?」 「むふふ〜、毎晩何を考えてたのかなー? エロいなー、ネオりゃん! 普段は『えっちなのはいけないと思います!』って感じなのにな〜?」 「そ、素数をひたすら数えていたに決まってるじゃないですかー! 昨日なんか六千百三十三まで数えてしまいましたよー!」  自分でもわけのわからないことを言っていると思う……こういう時こそ素数を数えるべきなんじゃないだろうか?  先輩は微妙に頬を染め手をもじもじとさせながら――もちろん演技だろうが――俺に止めを刺した。 「ネオりゃんなら……いいよ……?」 「にぎゃああああああああッ!」  くぁwせdrftgyふじこlp!  もうダメだ! これ以上ここに居ることは俺の精神衛生上よろしくない!  そうと決まれば……!  俺は先輩の方を向いたまま体を反転させ、ビシッという音が出るぐらい勢いよく左手で先輩を指差す! 「こ、これで勝ったと思うなよー!」  三十六計だ!! 逃げるぜ!!  男としてどうかと思うがそんなこと言ってる場合でもない!  扉を開け廊下へ。後ろから先輩の声が聞こえてくるが気にしない。  俺は逃げた。スイーツ(笑)  ――既に外は暗くなっていた。  帰り道、見知った顔を見つけて声をかける。 「ケン〜、一緒に帰ろうぜ〜」  声をかけるとケンこと大渡健はめんどくさそうに振り返ってこちらを見た。 「んー? なんだお前か」 「なんだってのもひどい言い草だな」  言いながら隣に並ぶ。  今日のことを話そうと思った矢先にケンが喋り始めた。 「……まーりゃん先輩に会ってきたのか?」 「おお、よく分かったな!」 「そりゃな、その格好を見れば大体予想できるわ」  そういえば擦り傷だらけだったな、これは風呂に入るとき覚悟しなければならない。  そこらへんの経緯も含めて話すことにした。 「登校中に軽トラにはねられたと思ったら運転していたのが実はまーりゃん先輩でしばらくして起き上がったら大した怪我もなかったので生徒会室に行き先輩に文句を言ったら逆にイジられて泣く泣く逃げてきたというわけなのだ」  ケンは俺の説明聞いた後「うんうん」と頷いた。 「わかった。お前説明するのめちゃくちゃヘタクソだろ」 「ほっとけ! ……でも、大体は伝わったべ?」 「……本っ当に大体だがな」  うーん、我ながら完璧な説明だと思ったんだが。もしかして俺が悪いんじゃなくてコイツの読解力が足りないんじゃないだろうか。  ……まぁ、そんなわけないか……。  思考を現実に戻すとケンはその天然パーマ気味のボサボサ髪を右手で弄っていた。 「話の内容はイマイチよく分からんかったが、一つだけ言えることがあるぞ」 「へ? 何?」  ケンはもったいぶるように「ゴホン」と咳き込んだ。 「……お前、本当に先輩のこと好きだな」 「どこがどうねじれて伝わってしまったんでしょうかねぇ!? ねじれてるのはお前の髪の毛で十分だわ!」 「いやいや、物凄く楽しそうに話してたぞお前」 「う、嘘だッッッ!」 「ふむ、すまん。あいにくバットの持ち合わせがない。ひ○らしごっこには付き合えないな」  俺が先輩のことをスキ? 先輩としてでも友人としてでもなく、異性として……だよな、この場合……  そんなハズは……ない……と、思う。多分……。  ……もしそうだとしたら、情けなくなるぐらいMだよね……。 「まぁ、ネオりゃんが先輩のこと好きかどうかは置いとこう」 「ネオりゃん言うな! 俺がお前のことを軽トラではね飛ばすぞ!」  俺がそう言うと、ケンは前髪を弄るのを止めて少しだけ神妙な顔つきになった。 「……軽トラ、ねぇ……」 「アンタさっきから話にあんまり関係無いところにつっかかるな!?」 「いや、つっかかったつもり全然無いから。独り言だから」 「二人しかいないんだからもっと会話のキャッチボールを楽しみませんか!?」 「……わかったよ、そんなに大好きなまーりゃん先輩とのノロケ話がしたいならいくらでも聞いてやるよ。ほら、言えよ」 「もしかして俺嫌われてます!?」  キャッチボールどころかデットボール気味な剛速球が飛んできた。  ケンは心底気だるそうに「はぁ〜……」と溜息をつく。 「お前クソめんどいやつだな……」 「言っとくけど、お前も大概だかんな!」  その日の帰り道はくだらない会話を二人でし続けた。  ――夜。 「いってぇぇえええええ!」  そこには怪我しているのを忘れて風呂に飛び込んだ馬鹿が一人いた。    第二章 ―夏、海、そして俺と先輩―  所詮、夢は夢でしかない。それを知ったのはもう三年と四ヶ月も前のことである。  まだ高校生になったばかりの頃のこと。  始めて尊敬する人ができた。  その人は新入生歓迎会という名の堅っ苦しい儀式を目の前でぶち壊して見せた。  生徒会長挨拶……いやあれはそんな生ぬるいモノではない。生徒会長“演説”を行ったその人は最後に、 「あたしと一緒に世界を征服しようじゃないかっ!」  ――そう言った後、制止に入った先生に連れていかれたのだった。  俺が生徒会室の扉を叩いたのはその三日後のことである。  どうもそのころの俺は先輩からのイタイ電波を受信してしまったらしい。いわゆる中二病ってヤツだ。  理不尽なルールも、くだらない規則も、惰性で過ごしてきた毎日も! この人なら壊せる! 突き破れる! ……こんな所か。  ……あぁ、今なら思う。その毎日こそかけがえの無いものだったのだ。すばらしきかな怠惰。日常フォーエバー。  自分が見てしまった夢が、ただの夢ではなく悪夢だと気付くのに時間はかからなかった。  照りつける日差し! うなだれたくなるような気温! まさに季節は夏!   目を覚ませば耳が痛くなるようなセミの鳴き声が…………鳴き声が…………  ………………………………おーい、鳴き声はどこにいっちまったんだ?  耳をすましても聞こえてくるのは車が走る音とその排気音ぐらいである。  目覚めたようで実はまだ眠っているのだろうか。頬をつねって……おや? なんだコレ? 手足がロープで縛られちゃってますヨ? ああっ! そうか! 昨日の夜は思わずSMプレイごっこに熱が入りすぎてそのまま寝ちゃったのか! こいつはミスった、てへっ☆ 「……って、んなわけあるかっ!」  状況を整理しよう。俺は両手両足を縛られ、軽トラの荷台に積まれて……?  ……そうか……先輩か……なんてこった……  目を覚ましたらそこは現実という名の悪夢でした。 「まーりゃん先輩! 降ろしてください!」 「おお! 起きたかネオりゃん! もうすぐ着くから待ってな!」  運転席からのんきな返事が返ってくる。  もう嫌だ、夢に引きこもってれば良かった……。いや、そっか、これは夢なんだ。あはははははは……。  しかし、得意の現実逃避で逃げられるほどリアルってやつは甘くなかった。  ガクッという音とともに車が急停止する。……床に頭を打ち付けてしまった。もの凄く痛い……。 「着いたぞ〜」  どこにだ。地獄か。ははは、そんなはずないか。既にここが地獄だ。  先輩は運転席から降りて大きく伸びをしている。……なんであの人は制服を着てるんだ……。  よく見直すと俺も制服を着ていた。なんでやねん。 「先輩、なんか俺着替えちゃってます!」 「ああ、あたしが着替えさせたからな!」 「んなバカな!? さすがにそれは無茶苦茶すぎるでしょ!?」 「むふふ、まーの力に不可能は無いのだ!」  もうわけが分からない。この人本当に人間なんだろうか。  ご丁寧に靴まではかせられていた。まーの力、抜かりないな。  ……しかし靴か。それならアレを使えば……っと。よし。 「ふははは! 甘いですよ先輩! この程度の縄にいつまでも縛られている川鳥ネオではないのです!」  靴底から出したアレ……カッターの刃をロープにあてるッ!  突然俺の手に現れた刃にさすがの先輩も動揺を隠せないようだった。 「なにぃ? ネオりゃん、そんなものどこから出した!?」 「ふふふ、靴に仕込んであったんですよ! 慢性中二病患者をなめないで下さい! 常に脳内では謎の組織と戦ってるんです、この程度の縄、どうということも無いッ!」 「さ、さすがのあたしもそれは引くわ……」 「たまに足裏が切れますが気にしません!」 「うわ、止めとけばいいのに!」  さっきまで『まーの力』とか言ってた人にドン引きされてしまった。大して変わらないと思うんだが。 「よっと」  縄をほどいた俺は荷台から飛び降りる。 「さて、まーりゃん先輩。どうしてこんなことをしたのか教えてもらいましょうか?」 「むー、ネオりゃんは質問ばっかだな。たまには自分でググったらどうだ?」  誰のせいだ誰の。それにググれるような内容でもない。 「話をそらさないで下さい」 「はぁー、わかったよー。まったくネオりゃんはせっかちだなー。カルシウム足りてないんじゃないか?」 「……先輩……」  まーりゃん先輩は「やれやれ」と肩をすくめてから話を続けた。 「耳をすませてみればわかると思うぞ?」  ……なにか聞こえるのだろうか?  耳をそばだてる。先刻までは車のエンジン音で聞こえなかった音が耳に入ってくる。  微かに、なにかが打ち付けられるような音が聞こえる……これは……波? 海?  音がしてくる方向、後ろを振り返る。ゴツゴツとした岩場の先に海の青が見えていた。 「海……ですか?」 「そうだ!」  先輩はなぜか誇らしげに胸を張っている。 「はぁ……。つまり、海に遊びに来たかった、と?」  先輩はにっこりと笑ったあと、俺と距離をとるように二、三歩後ずさる。 「どりるまーりゃんキィィィィィック!」 「ひでぶ!」  先輩の飛び蹴りが俺の腹に炸裂した! 「ごほっ、がはっ」  めちゃくちゃ痛かった……。  先輩はスカートに付いた砂埃をパンパンと手で払ったあと、片膝を地面についている俺を見下しながら叫んだ。 「ネオりゃん! 俺たちの野望を言ってみろ!」 「……」  なにかあっただろうか。とりあえず俺には無い。 「すみません。わかりません」 「なんだネオりゃん! お前が初めて生徒会室の扉をノックしたときの気持ちを忘れたのかー!」  ……はて? 生徒会……、初めて……、あっ! 「世界征服ですか!」 「そうだ!」  まだやってたんだアレ。俺の中ではとっくの昔に黒歴史になっているんだが。 「で、それと海になんの関係が?」 「ふっふっふ、よくぞ聞いてくれたなネオりゃん!」  待ってましたとばかりに先輩は海の方向を指差す。 「あそこを俺たちの秘密基地にするのだ〜!」 「……」 「なんだその目は。不審者でも見るような目になってるぞ?」  不審者見てますから、と言おうと思ったがやめた。先輩の行動にツッコミを入れていると埒があかない。 「なんでもないです……。で、具体的にはどのように?」 「それを考えるのが参謀たるネオりゃんの仕事だろう!」  ――参謀。また黒歴史ワードが出てきた。古傷を抉られるような痛みを心に覚える。今からすれば参謀(笑)だ参謀(笑)。  中二病患者なら誰しも孔明に憧れるものだ。そして参謀(笑)に至る。あぁ、なんだか無性に昔の自分を殴りたい。  脳内で過去の自分をフルボッコにしたあと、先輩に適当な返事をする。 「そうですね……。とりあえず場所を見てみないことにはなんとも言えません」 「ふむ、それもそうか。なら移動するぞー!」 「……おー」  一応合わせておく。『おう』は一応の応だ。ふふん、上手い事言った(思った?)。 「よし! そうと決まればネオりゃん、この荷物を持ってくれたまへ!」  先輩は軽トラの荷台に積まれていた大きなリュックサックを指差す。その大きさは軽く先輩ぐらいあった。 「なんですかコレ?」 「いーからいーから! とりあえず持つのだ!」 「自分で持ってきたんだから、自分で持ってくださいよー……」 「なんだ? お前はぷりちーな女の子にこんなデカイ荷物を持たせようってのか!」 「むぅ……、それは、確かにそうですが……」 「決まりだな! さあ、持った持った!」  ……面倒だが仕方あるまい。俺は大きさの割に意外と軽いリュックを背負う。 「それじゃ改めて、出発だー!」  先輩は勢いよくこぶしを天に突き出す。 「おー」  ……もちろん、一応の応だ。  十分ほど岩場を歩く。  あまり乗気でなかった俺も、徐々に波の音が大きくなるにつれて期待感が増してくる。 「到着ー!」  前を歩いていた先輩が元気よく叫んでいる。  最後の岩を乗り越えると砂浜の感触が足に伝わってきた。  周囲を見回す。こぢんまりとした砂浜には誰もいなかった。当然か、あんな岩だらけの道を歩いてまで来るような場所でもあるまい。 「これはまた……、よくこんな所見つけましたね?」  確かに秘密基地にお誂え向きな場所と言えるだろう。 「凄いだろ? ドライブしてたらたまたま見つけたのだ!」  先輩は「えっへん」と、そのちっちゃい胸を誇らしげに張っていた。  ……免許のことはツッコまないことにしよう……。 「そうだ、荷物はどうすればいいですか?」 「んー、とりあえず中の物を出してくれ」 「はいはい」  止め具を外し、開ける。中には、  ……。  中にはビーチパラソルが入っていた。 「あの、先輩。つかぬことをお聞きしますが」 「なんだね?」 「さっき俺が『つまり、海に遊びに来たかった、と?』って聞いたときに、先輩なんて答えましたっけ?」 「『どりるまーりゃんキィィィィィック!』だな」 「ですよねー」  ふむ、ならば俺の目がおかしいのだろうか。目をこすってみる。  どんなに見直してもパラソルはパラソルだった。 「あの、先輩。もう一つだけ聞いてもいいですか?」 「むー、最後の一回だからなー。願い事が三回までなように、まーの神様に対する質問も三回までなのだ」 「そうですか。では聞きますが、ビーチパラソルで世界って征服できますか?」 「何言ってるんだ、日射病で頭おかしくなったか? そいつで世界を征服できるのなんてカー○ィぐらいだ」 「ですよねー」  つまり、結論。 「ていっ!」 「アウチッ!」  手に持ったパラソルで先輩の頭を軽く叩く。それでも痛かったはずだ。パラソルは結構重い。 「何をするー! マムにもぶたれたことないのにー!」 「先輩、遊ぶ気満々じゃないですか! なんでさっき俺蹴られたんですか!?」 「それは日陰があった方が作業もはかどるだろうっていうあちしなりの配慮だ!」 「そうですか、ならこれは!」  なぜか既に膨らんでいるビーチボールを取り出す。 「なんだよ、ネオりゃん知らないのか? 軽く膨らませたビーチボールをバックの底に入れておくと楽に持てるんだぞ?」 「裏技かよ! 伊○家の食卓かよ! ならばこれはどうだ! 言い逃れできまい!」  バックに詰め込まれたビキニを引っ張り出す! 「なんで水着が入ってるんですか! 泳ぐ気満々じゃないですか!」  それを見た先輩はなぜか「くっくっくっ」と笑っていた。 「な、なにがおかしいんですか!」 「わからんか? ならばこれを見るがいい!」  そう言うと先輩はおもむろにスカートを脱ぎ始めた。 「ちょ、先輩! 何脱いでるんですか! 駄目ですって!」 「ネオりゃん、良く見てみろ!」  先輩は上着のボタンも全て外してしまう。 「せ、先輩、色々マズイですって!」  ……しかし、視界に飛び込んできたのは下着ではなくスクール水着であった。 「ふっふっふ、あちしは既に着替えていたのだよ、ネオりゃん!」 「そ、そうだったんですか、先に言ってくれればよかったのに……」  冷や汗を拭う。動悸が治まらない。 「ちなみにネオりゃんも水着を履いている!」 「えええぇぇぇぇぇぇぇぇえええ!?」  と、言うことは、見られてしまったのだろうか。その色々と。 「いやー、あちしも乙女の興味を抑え切れなくてさー。……めんちゃい」 「なにやってくれちゃってるんですかー! 先輩!」  まったく! 先輩はまったく! 女の子なんだから、もう少し恥じらいがあってもいいのに……。  大きく溜息をついてしまう。なんだかなぁ……。 「時にネオりゃん、その手に持っているものはなんだね?」 「へ? ああ、先輩の水着です……が……?」  ……アレ? ちょっと待てよ? なんで?  おかしい、先輩はもう水着を着てるのに?  慌てる俺を見て、先輩は不気味に微笑んだ。 「むふふ、つまりそれは――」  そう、おそらくこれは―― 「あちしのパ・ン・ツ(はぁと)」  認識が追いつく寸前、俺の意識は飛んだ、いや、焼き切れた。  ――後頭部に何か柔らかさを感じる。なんだろう、めちゃくちゃ気持ちいい。 「……はっ!」  飛び起きる、手に砂の感触。むぅ、さっきのはこんなザラザラした感蝕ではなかったと思う。  ……気を失っていたのか。横には先輩が立てたのだろうビーチパラソルが立っていた。 「気が付いたかネオりゃん、いきなり倒れるからビックリしたぞー」 「心配かけてすみません……」  先輩は砂浜に正座のような格好で座っていた。 「……なんで正座?」 「なんでだと思う?」  ……? 何か理由でもあるのだろうか。状況を整理する。  先輩が正座してる位置はちょうど俺が倒れていた場所である。  ……まさか、起きたときに感じたあの感触は……。  も、もしかして、ひ、膝枕とかっ、されちゃっていたんじゃないでしょうかっ!? 「〜〜〜〜〜ッ!」  声にならない声をあげる。 「な、なんか色々と申し訳ありません!」 「いいのだ、俺も可愛い後輩の寝顔が見れて幸せだったしな!」 「あうあう」  もうダメだ。顔が真っ赤なのが自分でもわかる。  無性に海に飛び込みたい衝動に駆られる。が、毛ほどに残された理性がそれを許さない。  先輩は俺の葛藤を見てご満悦な様子だった。 「ち、ちなみに、どれくらい気絶していたんでしょうか?」  とりあえず適当に話題を変えることにした。これ以上弄られたら壊れてしまう。 「大体十五分ぐらいか、そんなに長くはないぞ」  空を見上げる。太陽が天辺近くまで登ろうとしていた。  そもそも今は何時なんだろうか。感覚的には昼ごろなのだが。  そういえば朝飯を食べていない。意識したら急に空腹感に襲われた。 「今何時ですか? 腹減ってきたんですけど」  先輩に問いかける。質問は三回まで、と言っていたが気にしない。どうせ先輩も忘れているだろう。 「十一時ぐらいだな。少し早いが昼飯にするか!」  携帯で時間を確認しながら先輩は答えた。  食べ物を持ってきているのだろうか。先輩はリュックの中を漁り始める。 「じゃじゃーん! これだー!」  先輩の両手にはそれぞれカップ麺が握られていた。 「えーっと、お湯は?」 「安心しろ! 携帯コンロと水は持ってきてある!」 「おぉ! さすがです先輩!」 『そのまま食べるのだー!』とか『海水突っ込んどけばできるんじゃね?』とか言われたらどうしようかと思った。  先輩はテキパキとお湯を沸かし始める。 「キャンプとか好きなんですか? むちゃくちゃ手馴れてますけど」  携帯ガスバーナーコンロを個人で持っている人は珍しい。 「外で寝泊りするときの必需品だぞ。火を通せば大概のものは食える」  ……先輩の私生活は謎が多い。  しばらく待つとお湯が沸騰した。  お湯を注いで三分待つ。完成。 「いただきます」  ずずず、と麺をすする。 「そういえば先輩って料理作れるんですか?」 「む、失礼だな! 俺だって料理ぐらい作れるぞ!」  さすがに女の子か。確かに失礼なことを言ってしまったかもしれない。 「今だって食べてるだろう!」  ……撤回、先輩は想像通りの人なようだ。 「先輩、いくらなんでもカップ麺は料理じゃないと思います。他に何かないんですか?」 「むぅ……、カレー、とか」 「どうせレトルトでしょ!」  くだらない話をしながら食べ続ける。  …………。  完食。 「ごちそうさまでした」  さて、午後の活動だ。……と、言えるほど午前中に何かしたわけでもないのだが。 「午後は何をしましょうか?」  先輩に指示を仰ぐ。 「決まっているだろう! ここは海だぞ、ネオりゃん!」  ……どうやら世界征服はまたの機会になったらしい。その方が平和だからいいけれど。 「泳ぐぞー!」  ――夕方、日は地平線上に沈もうとしている。  結局午後も遊び倒してしまった。  世界の平和は守られた。俺の尊い犠牲によって。  今は先輩の運転する軽トラの助手席に座って帰路についている。  ……チャンスは今しかない。俺は、ずっと聞きたかったことを聞くことにした。 「先輩、本当に最後です。一つだけ質問いいですか?」 「む、なんだ、もうすぐネオりゃんの家に着くぞ?」  根本的な、ずっと気になっていた疑問。 「……なんで俺なんですか?」  先輩の交友関係は広いはずなのだ。わざわざ俺を連れて海に行く必要性がない。  そういう意味を込めて。なぜ、俺なのか。 「……」  先輩は黙っていた。  俺は答えを促すべきか、せざるべきか悩んでしまった。  ……そうこうしているうちに家の前についてしまう。 「着いたぞ、ネオりゃん」 「先輩……」  まだ答えをもらっていない……。  運転席の方を向くと先輩は怒りをこらえるように、プルプルとふるえていた。 「……ええい、ネオりゃんのニブチン!」 「のわっ!」  外に蹴りだされてしまう。 「なにするんですか!」 「……ちょっと気になる後輩と一緒に海に行ってみたかっただけだ、察しろー!」  先輩は、そう叫ぶと物凄いスピードで車を発進させてしまった。  ちらりと見えた横顔が、少しだけ赤みを帯びていたのは夕焼けの所為だろうか。  俺は、あまりに急な出来事にポカンとした表情で立ち尽くすしかなかった。 「おかえりー」  自分の部屋に帰るとそこには珍客がいた。 「ケン! なんで!?」 「遊びに来た、……いや、来ている」  床を見るとお菓子の袋が散らばっている。取っておいたヤツなのに、コイツは……。 「玄関のドア、鍵開けっぱなしだったぞ」 「そうか、なんか留守を任せてしまったみたいで悪いな」 「ん、まぁいいんだが」  ケンはそう言ったあと、突然何かに気づいたように周囲の匂いを嗅ぎ始めた。 「なんかお前から潮の香りがするんだが」 「ああ……色々あってな……」 「また先輩絡みか」 「まあな。そうだ聞いてくれよ」  俺は今日のいきさつを話す。 「……と、いうわけなんだ」 「うん」 「どう思う?」 「そうだな……お前、ギャルゲーで主人公がヘタレなのって許せるか?」 「うーん、へタレは良くないな。やっぱビシッと決めてくれるほうがカッコイイよ」 「うんうん、俺もそう思う」  ケンは言い終わると、突然俺の視界から消えた。  ……え? ワッツ? 何事?  瞬間、下腹部に衝撃。 「五臓六腑爆裂拳ッ!」 「ひでぶっ!」  ケンは凄まじい速度で俺を殴りとばしていた。 「お前は全俺に死んでわびるべきだ」 「な、ゴホッ、なにするんだ!」 「全部、分かってるんだろう? 分かってて、俺に答えを求めるのか?」 「……」  分かっていた。俺の中の先輩への想いも、先輩の俺への想いも。 「……すまん」 「……いや、こっちこそ、殴って悪かった」  なんとなく居心地の悪い空気が流れる。 「……そろそろ、帰るわ」 「……ん、悪かったな」  玄関へ向かう。適当に別れの挨拶をすませる。  去り際、ケンは振り返って言った。 「そうだ、さっき食べたお菓子の礼だ。お前が進めてたRPG、クリアしといてやったぞ」 「……なっ! お前!」 「はははは! じゃーな! 先輩と仲良くやれよ!」 「バカヤロウ! 二度と来んな!」  さっきまでの暗い雰囲気が吹き飛ぶ。アイツなりの配慮だったのかもしれない。  走っていく友人の後ろ姿が妙に大きく見えた。  さて、俺も部屋に戻るか……。  ――夜、街はあまりにも静寂。  大渡健は川鳥ネオの家の前に立っていた。 「まったく、損な役回りだね、俺も」  誰に向かって言ったわけでもない。声は暗闇に呑まれていく。  ネオの部屋に点いていた明かりがフッと消える。 「……せいぜい、いい夢観ろよ。時間はそんなに残ってない」  歩き出す。どこに向かってでもない。気の向くまま。 「……まったく、損な役回りだ、本当に」    第三章 ―先輩の心と秋の空―  所詮、夢は夢でしかない。儚く、脆い。  人の夢と書いて「儚」とは、昔の人は的を得た漢字を生み出したものだ。  子供の頃からの夢があった。 「将棋のプロ棋士になる」  昔の俺は、ただそれだけのために生きていた。  好きなことを仕事にできたら楽だろう。  最初はそれくらいの、軽い気持ちだった。  夢を語ると両親は喜んでくれた。才能がある、天才だ、と褒めてくれた。  いつしか小学校の中で俺に勝てる人はいなくなった。顧問の先生ですら。  中学は私立へ行った。行く予定だった公立校には将棋の部活が無かったからである。  受験勉強も苦痛ではなかった。全ては未来の、将棋のため。  それが全てだった。何も迷う必要は無い。ただ、それだけのために、生きる。  転機が訪れたのは中学三年、夏頃の三者面談の時である。 「将棋のプロ棋士になる」  将来の進路について聞かれた俺は迷わずにそう答えた。  先生は少し困ったような顔をした後、こう言った。 「それは無理だろう。もう少し普通の職業で何かないのか?」  ……ふん、コイツは何もわかっていないのだ。  隣に座っている母親の方を向く。夢を肯定してくれる理解者の方を。  ……その表情には呆れと、少しの驚きが含まれていた。 「アンタ、まだそんなこと言っていたの?」  ああ、その時、俺は、初めて、理解した。  この人には、子供の戯言程度にしか受け取られていなかったのだ、俺の夢は。  頭が良くなるから、程度の理由だろう。今まで続けさせてもらったのは。  俺の中の将棋への熱が冷めていく。  所詮その程度の「好き」だったのだ。  今思えば、褒めてもらえれば何でもよかったんじゃないかと思う。  夢のために、ただそれだけに、生きていた。  全部壊れて、後には無為な日々だけが残る。  ――いっそのこと、全て終わらせてしまおうか。  そんな事を考えるまで追い詰められていた。理由無く生きることができるほど強くなかった。  ナイフを、手首に当てる。  圧倒的な恐怖。ゾッとするようなソレに竦み、ナイフを床に落とす。  死、が、こんなに怖いことだなんて思わなかった。それに勝てるほど強くなかった。  命を考えようとしたことがなかった。今まで生きることに難しさを感じたことが一度もなかったから。  俺はわけもわからずに泣き叫んだ。  それからは、生きることも、死ぬことも無く、過ごした。  高校に上がって、光を見るまでは。  ――庭の草は茶に、木は紅く染まり始めている。季節は秋。  ベッドの上で半身だけを起こす。  額を拭う、ベッタリとした汗が滲み出ている。  ……朝から嫌な夢を見た。昔の自分の夢。  川鳥ネオの人生史上、最大の黒歴史。  起き上がり洗面所に向かう。ザバザバと顔を洗うと、ムシャクシャした気持ちも一緒に流されていったような気がした。  ……今の俺は、昔とは、違う。  先輩と会って、過ごして、変わったのだ。  先輩には感謝してもしきれない。  なんやかんやで先輩の頼み(命令?)が断れないのはそのせいだ。  ……そのせいだ、と、思っていたのだが……。  ――恋。  口に出すどころか、心に思うことすら恥ずかしい。  夏のドタバタがあってから変に意識するようになってしまった。  先輩がからかってくるのを受け流すことすら難しくなった。一年の頃の方がまだマシだったと思えるほどに。  これが、好き、なんだろう……多分。比べるものがないからわからないけれど。  自室に戻り制服に着替える。  時間はいつもより少し早いが、家を出て学校へ向かうことにする。  外に出ないと、この顔の火照りは冷めそうになかった。  放課後の生徒会室。先輩と二人。  会議の無い日を選んでは二人で遊んでいた。  方や基本的には生徒会に関係ない一般生徒、方や卒業してしまった元生徒会長。この組み合わせで生徒会室にいるのは不思議な感じがする。  先輩は机に突っ伏しながら、だらーっとしていた。 「ヒマだぞ〜、ネオりゃん。なんか面白いこと無いのか〜」  心底退屈そうな様子で、先輩は言った。  先輩にしてはめずらしい。先輩は遊ぶということに関しては天才的であった。ひまつぶしに困っている姿というのは中々見られない光景である。 「うーん、せっかく秋なんだし、読書でもしてみたらどうですか?」 「そんな答えが聞きたいんじゃないやい! もっとこう、壮絶スペクタクルな何かがあるだろう!」  まったく、我侭な人だ……。 「そうですね……じゃあアレとか。『いっせのせー』で指上げるやつ」 「それのどこに壮絶スペクタクルがあるんだよ!」 「あー、アレですよ。みんなコレの名前知らないじゃないですか。だからそれの起源、そう、『ルーツ』を探る旅にですね……」 「……ネオりゃん、本気で言ってるのか?」 「……ごめんなさい」  しかし、面白いこと、ねぇ……。  アゴに手を当てて考えてみる。ふむ。 「せっかく秋だし、芸術とか」 「ネオりゃん、あちしが絵心ありそうな方だと思うか?」 「えーっと……」  全然だった。  どっちかっていうと『芸術は爆発だー!』って言いながら人の作品をぶっ壊しちゃう感じ? 「……絵は駄目だったとしても、芸術は絵だけじゃないですよ。そう例えば、音楽、歌とか!」 「ネオりゃん、『うたわれるもの』って言いたいだけだろ」 「……さすがですね、先輩……」  バレた。さすがに露骨だったか……。  先輩は「くぁー」っと欠伸をして、ぐだーっと机にへたり込んでいる。  なんか猫みたいでめちゃくちゃ可愛い……!  思わず頭をなでてみたい衝動に駆られる。  た、耐えろ俺の理性! ここで折れたら今日一日が先輩の奴隷扱いで終わる!  ……なんとか押さえ込む。ふぅ……甘いものと可愛いものは摂りすぎると体に毒だ。  落ち着いたところで、ふと思い出したことがある。  そういえばカバンの内ポケットに……っと、あったあった。 「先輩、トランプならありますけど」 「お、なんだよネオりゃん、いいモンもってんじゃん!」  デックを箱から取り出す。シャッフル。 「何やります? って言っても、二人でできるゲームなんて限られてますが……」 「んー、ネオりゃん、ポーカーわかる?」 「はいはい、大丈夫ですよ」  一枚ずつ交互に五枚の手札を配る。  俺の手札は  スペードの五  ダイアの五  ハートの九  クローバーの十  スペードの十三  ワンペアか……まぁ、こんなもんだろう。 「んじゃ、先輩から交換どうぞ」  先輩は一瞬手札を見て考えるような仕草をみせる。 「んー……あたしは交換しなくていいぞ」 「そうですか、大分強いみたいですね?」  考える。  何も切らないということはおそらくストレート、フラッシュ、フルハウス、ストレートフラッシュ、ロイヤルストレートフラッシュ、はたまたファイブ・オブ・ア・カインド。  ストレートフラッシュ以上の役が簡単に揃うとは思えない。良くてフルハウス。悪くてストレート。  ……どっちにしろ、ワンペアじゃ勝てない。  五のペア以外の三枚を切る。  目指すのはフォー・オブ・ア・カインド。  引いたカードは  ハートの四  ダイアの六  ハートの十  役はそのまま、ワンペア。  ……これは、負けただろ……。 「せーの」でお互いに手札を見せ合う。  先輩の手札は  ダイアの二  ダイアの三  ダイアの七  ダイアの十一  ダイアのエース  フラッシュ、予想通りだが強い……。 「ふふん、俺の勝ちのようだな」  先輩は不敵に笑った。 「いきなりフラッシュですか……さすがですね」  俺は場に出ているカードを集めてシャッフルし直す。  再度五枚の手札を配ろうと先輩の前にカードを……。 「待った」  先輩の制止の声。 「……なんですか?」  なんとなく嫌な予感。  先輩は獲物を弄る猫のような目でこちらを見つめてくる。 「ポーカーをやるのに、ベットが何も無いのはつまらなくないか?」 「……まぁ、それは同意しますが……。でも先輩、今俺お金持ってないんですよ」 「安心したまへ、俺も今月はピンチだ。だが、他にも賭けられる物はあるだろう?」 「……例えば?」 「そうだなー、負けたほうが一つだけ言うことを聞く、とか」 「……」  ……先輩の提案は一見対等なようである。  しかし、どう考えても俺に分が悪い賭けだった。  先輩が勝った場合、俺にものすごい災難が降りかかることになる。  じゃあ、俺が勝った場合は?  先輩に何が命令できるというのだ。  せいぜい「ジュース買って来て下さい」ぐらいだろう。(お金は俺持ちで)  それでも、俺は、 「……いいですよ。ベットはお互い『自分に対する命令権一つ』で」  その勝負に乗る。 「なんだ、今日はノリがいいな、ネオりゃん?」 「俺にも色々考えがあるんですよ」  さっきの役は俺がワンペア、先輩はフラッシュ。  ワンペアが初手で揃う確率は1/2.366。  フラッシュが初手で揃う確率は1/255。  それくらいの差があるのだ。  次で俺が勝つ確率は、高い。  そんなに難しく考えなくても、勝つか負けるかは半々。  次の試合は3/4で俺が勝つ。  そう考えればベットに多少(?)差があっても問題は無い。  もう一回シャッフルをし直したデックを先輩の前に置く。 「カットをお願いします。一応、真剣試合ですから」 「むふふ、あたしに勝てると思っているのか? ネオりゃん」 「そればっかりは、やってみないと分かりませんよ」  先輩はデッキを細かな山に分け、順番を変えて元に戻す。  そのまま上から五枚を俺に、自分にも五枚を手札として振り分けた。 「さて……」  俺の手札は  スペードの十  スペードの十一  スペードの十二  スペードの十三  スペードのエース 「……!」  なっ……ロイヤルストレートフラッシュ!?  ここで、このタイミングで、ロイヤルストレートフラッシュ!  最強の手札。確率1/649740の奇跡が、今、手の中にある。 「どうした? ネオりゃん、手が悪いからって今更賭けをやめるとかは無しだぞ〜?」 「え、えぇ、わかってますよ……。とりあえず、手札の交換は無しで」 「ふむ、中々強い手が来たみたいじゃないか?」 「……どうでしょうね?」  先輩は表情を崩さない。 「あたしも交換は無しだ」  先輩もそれなりに強いようだ。  しかし、俺には勝てないだろう。 「では、公開しましょうか」 「……ちょっと待った」  先輩はまたも制止する。なんだというのだ……。 「ネオりゃん、この試合はベットを賭けてるんだよな?」 「そうですね……先輩、先輩こそ、今更止めるとか言わないでくださいよ?」 「そんなことは言わない、むしろその反対だ。……ベットを追加しようと思う」 「……なっ……!」  確かにベットを追加するのは認められている。  勝利するのは俺なのだから、その提案は俺にとって良いものなはずだった。  だが……しかし。  異様な雰囲気、勝利は確実なはずなのに空気が先輩に流れて行く。  一拍おいてから、先輩は告げる。 「あたしが追加するのは『一生自分を奴隷扱いにしていい権利』だ!」 「はぁっ!? そんなっ! 先輩、負けたらどうするつもりですか!」 「さぁー、どうするかな? でも、あちしは負けないからそんなこと考える必要が無いな」  ……おかしい、なんだあの自信は。 「ネオりゃんが勝ったら、あちしにあーんなことや、こーんなことをしてもいいんだぞ〜?」  俺は勝つ、勝てる、勝てる……のか?  ……俺は学校で先輩が持っていた通り名を思い出していた。 『ゴッデス・オブ・卑怯』  その瞬間俺は確信した。……自分の、負けを。  最初のカットだ。あの瞬間に、俺は負けていた。  どんな確率論も関係なく、絶対に勝つ方法が一つだけある。  ――イカサマ。  つまり、このロイヤルストレートフラッシュは仕組まれていたのだ。  おそらく先輩の手札は、ファイブ・オブ・ア・カインド。所謂ファイブカードである。  先輩の狙いは最初からこのレートアップにあったのだ。  俺に勝ちを確信させ、レートアップの提案に乗せ、一生奴隷扱いに……。  考える、なにか、なにか、勝つ方法は無いのか……!  ……しかし、この状況で選べる俺の最善手は、一つだけだった。 「……ドロップ、です……」  ベット追加に乗れば、一生奴隷。  降りれば、一つだけ言うことを聞く。  完全に俺の……負け。八方塞がりだ。  先輩は、最後まで不敵な笑みを崩さなかった。 「ネオりゃんは、将棋部だっけ?」 「……元、ですが」  先輩はその手札を机に広げる。 「ちゃんと読んでくれると思っていたぞ……あたしの思い通りにな!」  先輩のカードは  ダイアの六  スペードの六  ハートの八  クローバーの十一  クローバーの十三 「な、そんなっ……バカなっ!? ワンペア!?」 「むふふ、ネオりゃんはあたしがイカサマをしたと思ったんだろう? だけど、いくらあたしでも一回しかプレイしていないトランプで手札を操作するのは無理だ」  確かに、少し考えればわかることであった。  騙された……完全に、ここまで、読まれていたのだ。  先輩のシナリオ通りに試合は進んでいた。 「……っく……完敗、です……」  イカサマでもなんでもない。心理戦で負けたのだ。  文句の一つも沸いてこない。むしろ自分に腹が立つ……。  先輩は小悪魔のような笑みを浮かべながら俺に告げる。 「さて、ネオりゃん。なんでも一つ言うことを聞いてくれるんだったな?」  ――学校正門を抜ける。  あの試合で精根尽き果ててしまった俺には、それ以上トランプを続ける気力が残っていなかった。  先輩も大勝負で勝ったのに満足したらしく、今日はお開きということになった。  夕暮れ時の道を二人で歩く。 「先輩。約束ですから、なんでも言うこと聞きますが」 「そうか、実はもう何を命令するかは決めていたのだ」  そう言うと先輩は立ち止る。  それに合わせるように振り向く。 「先輩…………?」  夕日を背にした先輩からは長く影が伸びていた。  逆光でその表情は読みづらい。  なんとなくシリアスな雰囲気になる。  まるで、この俺と先輩の居る場所だけが他から切り取られてしまったような、時が止まってしまったかのような、感覚。  先輩の声が、いつもよりクリアに聞こえてくる。 「ネオりゃん……夏の、あの日の答えを、聞かせて?」  ……こんな風にしか想いを伝えられないなんて、不器用だな……、先輩も、俺も……。  少しだけ似てるのかもしれないと、そう、思った。  俺の答えは、決まっていた。 「……先輩、俺は、先輩のことが――」  ずっと、胸に秘めてきた想いを解き放つ。 「先輩のことが……好きです」  ――夜の公園のベンチに、一人。  大渡健は何をするでもなく、ぼーっと虚空を見ていた。 「……アイツは……アイツがやるべき事をやった」  静かな、あまりにも、静か過ぎる闇にむけて、呟く。 「俺も、そうするだけだ。俺がやらなくちゃいけないことを、やる」  立ち上がる。歩き、向かう。自分の存在理由のために。  答えを、出すために。    第四章 ―恋人たちのクリスマス・イブ―  季節は冬、雪の季節。  世界は、全てが真っ白に染められていた。  俺が恋人とクリスマス・イブを過ごすなんて誰が想像しただろうか。しかもその彼女が、あろうことかまーりゃん先輩だなんて!  天地がひっくり返ってもありえない。自分でもそれくらい驚いている。  あぁ、今ではその感覚すら愛しい!  最初は尊敬、それどころか羨望、憧れ、羨み、そんなものだったかもしれない。  それらを感じるほど先輩は俺が持っていないモノを沢山、本当に沢山持っていた。  自分の中の空白が埋められていく。先輩と一緒にいるとそんな感覚すら覚える。  ――人が近づいてくる気配がする。  俺にはそれが誰かわかっていた。  早くこの胸の気持ちを伝えたい!  ――その人が目の前に、立つ。  俺はありったけの思いを込めて言葉を放った。 「…………なんでお前がここにいるんだッ! 大渡健ッ!」  怒りと、憎悪を込めて。 「……ふん、何が『第四章 ―恋人たちのクリスマス・イブ―』だ。寒いのは冬でもなんでもない。お前だよ」  ケンは禁忌を、この世界のタブーを、侵す。  世界は、全てが真っ白に染められていた。  ――そう、  世界の全てが真っ白に、空白に染められていた。  何も無い空間に俺とケンは立っていた。  否、在った。 「終わりにしよう。この、世界を」    最終章 −崩空想世界妄想− 「お前だって、理解しているはずだ」  普段のケンとは違う、冷淡で、重さが乗った言葉だった。  その迫力に思わず気圧されそうになる。 「……なんのことだよ……」  自分で言っておきながら白々しい言葉だ。  俺は分かっていた。知っていて、知らないフリをして過ごしていた。  “世界”を。  ケンは語る。この世界の“真実”を。 「この世界は、お前の妄想、夢だ」  ……はははは、よくもまぁ、そんなセリフを真顔で言えたもんだ。  普段なら大声で中二病と笑ってやるところだが、とてもそんな気分になれそうも無い。  ケンはこちらの様子を気にするでもなく、淡々と言葉を続けた。 「現に、この世界にはお前と先輩しか居ない」  ――春。世界一日目。 『役員は全員帰ってしまったらしい。生徒会室には先輩しかいなかった』  ――夏。世界二日目。 『周囲を見回す。こぢんまりとした砂浜には誰もいなかった」  ――秋。世界三日目。 『会議の無い日を選んでは二人で遊んでいた』  ――この世界はフィクション、夢物語にすぎない――  名探偵に追い詰められる犯人の気持ちってのは、こんな感じなんだろう。俺は答えられると分かっていて次の質問をする。 「なら、お前は誰なんだ?」  それはまるで詰め将棋の負ける側のよう。 「お前が一番よく知っているだろう?」  ……当然。 「お前は……俺だろう? 正確に言うと、俺の心の在り方の一つ。同じものの、違う在り方」  そう、詰め将棋は二人でやるものじゃない。  oowatari ken  並べ替えてみれば分かる。  kawatori neo  ――世界が始まった最初の時。  登校中に交通事故にあった。気づいたら車道に居た。寝不足だったか、朝飯を抜いたか忘れたが、とにかくぼーっとしていた。  念願の空の旅の終着駅は、とても残酷で……。  所詮、夢は夢でしかない。  意識が無くなる前に、そんなことを考えていたような気がする。 「意識不明になったついでに、空を飛ぶ夢が叶ったついでに、もう一つ夢を叶えようと思ったんだ」  大好きな人と、二人だけの世界を、永遠を。  ……子供じみたイタイ妄想。しかも、俺の場合もっと救えない。  だって――  だって、先輩は――  ――ゲームの、キャラだから。 「この世界なら先輩と話せる! 先輩に触れる! 先輩は……、先輩は、俺のことを愛してくれる! 全てを知っていて、それでも、俺はこの世界にいたい! この世界を選ぶ! やっと……、やっと叶ったんだ! これこそが、俺が望んだ世界だ!」  堰を切ったように川鳥ネオは叫ぶ。  ……そんなことはわかってるさ、俺。 「それは、逃避だよ。お前は……いや俺は妄想に負けたんだ」  俺は、大渡健は、静かにそう告げた。 「違うッ!」  抗うように、ネオは叫ぶ。  躊躇わない。 「気づいているはずなんだ。だって」  俺の欲望に、俺の愛すべき半身に、止めの言葉を。 「俺が、ここに居るんだから」  そうだ。川鳥ネオ――俺は望むなら完璧に先輩と自分だけの世界を創れたはずなのだ。  でも、出来なかった。大渡健という、ノイズが混じってしまった。  理由は一つ。  分かっていたのだ。  それが逃避だと。卑怯な行為だと。  世界は、本当は夢なのかもしれない。  もし蝶となって飛ぶ夢を見たとして、俺が蝶の夢を見ているのか、蝶が俺の夢を見ているのかなんて分かったもんじゃない。  でも、もし、蝶の夢を見ている時に、それが夢だとわかっていたら?  空を飛ぶのがどんなに楽しくても。他の可愛い蝶と一緒に遊んでいても。  それは逃避でしかない。  少なくとも、俺はそう思っている。  甘い夢を望む俺の心があって。  それを否定する俺の心があった。  それだけの話。  夢が覚めようとしているのが分かる。  事故で傷ついた既に体は完治していた。じきに目が覚めるだろう。  川鳥ネオという心のパーツは戻った。  最後に、俺にはこの世界でやることが残っている。  ――行こう、夢を、世界を、終わらせに。自分の心に、決着をつけに。  そこには川鳥ネオでも、  大渡健でもない、 「俺」が居た。  ――俺は生徒会室の前に立っていた。  ノックは不要だろう。横開きの扉を勢いよく開ける。  愛する小さな先輩が、そこに居た。  ――遠くで、何かが割れるような音がする。 「お別れを、言いに来ました」 「……本当にいいのか? その気になればずっとここに居ることも出来たんだぞ?」  最初から用件を知っていたかの様に、先輩は答える。  俺の答えは決まっている。 「俺は、もう逃げません」  終わらせよう。Convenient Dreamを。夢の世界を。 「現実で、先輩に俺を好きにさせてみせます。それは本当に0%に近い可能性かもしれないけれど」  我ながらイタイ。頭でも打ったんじゃないだろうか。……あぁ、そういえば打ったんだったか。 「そっか……」  少し寂しげに先輩は答えた。  それも一瞬、すぐに普段の調子に戻る。 「それだけ愛してくれれば安心だ! 起きてからも頑張ってくれたまへ!」  ……でも、その笑顔は、俺には普段の笑顔に見えなくて、  そう思った瞬間、 「先輩……っ!」  思わず抱きしめてしまった。  身長差のせいで跪くような格好になる。 「俺……ずっと、ずっと、先輩のこと好きですから……」  泣きそうな声になってしまった。  最後ぐらい、カッコつけようと、思ったんだけどな……。  ピキッと、割れるような音が近づいてくる――  それは多分、世界が壊れていく音。  先輩の顔が近づく。息が届くような距離。 「大丈夫、あたしなら、きっと好きになるよ……」  泣きじゃくる子供をなだめるような優しい声。  先輩の手が俺の頭の後ろにまわる。  崩れていく、妄想。  壊れていく、世界。  …………先輩…………  俺の妄想に、口づけを。  始まる現実に、約束を。 (挿絵A)  ――絶対に出来るっ!  ――頑張れっ!  ――あーりゃんっ!!  所詮、夢は夢でしかない。そんなことはとっくの昔に知っていた筈だ。  でも、それでも。  夢をみた後、しばらく感傷に浸るぐらいはいいだろう?  ……気が付くと、そこは病院のベットの上だった。  夢オチか、作者は何を考えてるんだろうな……。  まあ、いい夢だった気もするし、よしとするか。  俺の隣には、誰かが運んだのであろう、まーりゃん先輩の抱き枕が置いてあった。 「ただいま。先輩」  喜びと悲しみとがごちゃごちゃになった気持ちで言う。  俺はこの先輩が居ない世界で、先輩を愛して、生きる。  泥だらけで、四つんばいで、どんなに醜くても。  必至に、しがみついてでも、生き抜く。  どうしようもなく、暴力的で、  とてつもなく、理不尽な、  それでいて、かけがえのない、  現実を……。  E N D