萌えろ甲子園2話の上

 

 「おはよう。」

 朝の準備を終えて順治はいつものように食卓に着いた。

 「いただきます。」

 一礼すると順治はパンをオーブントースターに入れてから目の前にあるサラダを食べる。

 その様子を見た純子は読んでいた新聞をたたみ床に置くと口を開く。

 「待ちなさい順治。」

 今回の口調は父親モード、しかしその声色にそのパーマの入ったロングヘアーは似合わない。

 「なんだい?父さん。」

 順治は口の中のサラダを飲み込むと言い返した。

 「その制服はどうしたのかね。」

 腕を組みながらしかめ面をして純子は言った。

 そう、今の順治は聖マリリアの男子制服を着ていたのだ。

 女子の制服に負けないくらい嫌というほどに白いブレザー、女子と同様に学年はネクタイの色で判断する。

 順治は1年生なので黄色のネクタイをしている。

 「ああ、これか、学園長がくれた。」

 「なぬぅ!?」

 食い付きがいいこの反応、その時眠っていた力が目覚めたのであろうか、突如純子の目が光る。

 「お母さんは!!お母さんは許しませんよぅ!!!!!」

 立ち上がるとポケットから女子制服を取り出す。

 「さぁ!!今すぐ着替えなさい!!今すぐ!!さあ!!」

 はぁはぁと息を荒く純子が迫ってくる。

 「どういうポケットしてんだ・・・よ!!!!」

 順治の回し蹴りが純子の首へとヒットする。

 この時点で勝負は決していた。

 「たく・・・朝ぐらいゆっくり朝食をとらせてくれ。」

 そう言うと順治は少しこげたトーストをかじった。

 

 今思えばあの学園長も普通ではない。

 制服までもらってしまった。

 正確には借りたに近い、それは甲子園という名の交換条件。

 「なぁに 制服ぐらいくれてやるわい、おんしが我が校を甲子園に連れて行ってくれるというのだからのぅ。」

 その言葉には、いささかプレッシャーを感じる。

 そして学園長の隣にいた秘書であろう女性。

 「こちらの書類に部活名とあなたの名前を書いてください。」

 そのやり取りは校長室とは別の部屋で行なわれた。

 順治は言われたとおり書類に記入していく。

 「はい、確かに預かりました。これで明日から野球部としての活動を行なうことができます。」

 女性はその書類をファイルにしまいこむ。

 そして穏やかな顔で言った。

 「さきほどの学園長のお言葉にプレッシャーを感じる必要はありません。実力主義と主張しておりますが部員数を満たしていれば廃部になることはありません。ですから、夏の大会までに他の部活と兼任でも試合に出てくれる生徒を探すのも手だと思います。試合に出ている限り廃部はまずありませんから。」

 その心遣いはありがたい、第一印象はきつめな感じがあったもののやさしい女性であるのは確かだ。

 「甲子園に行くといったのは本気ですよ。夏の大会ももちろん狙って出るつもりです。でもその心遣い感謝します。えーと・・・」

 「私は宮内 早苗といいます。 がんばってくださいね。」

 「はい!ありがとうございます。宮内先生。」

 そう・・・今日から・・・野球部の正式な活動が始まるのだ。

 朝食を食べ終わると順治は家を出た。

 「いってきまーす。」

 

 今日で何度目になるだろうか、この凱旋門をくぐるのは・・・しかしいまだ違和感が抜けることがない。

 桜の並木道は早くも花びらを散らしている。

 この花びらがすべて散り、緑の葉っぱが鮮やかに彩る頃、高校野球地区大会が始まるのだろう。

 そんなことを思いながら並木道を歩いていた。

 すると後ろから声が上がる。

 「ちょっと君職員室まで来てもらいますからね!」

 その怒鳴り声は幼さと教師のプライドが同居する直美先生のものだ。

 昨日の情景が走馬灯のように思考を駆け巡り,順治はそーっと後ろを向いた。

 違った。その声は順治の遥か後ろであがったものだったのだ。

 見ると見知らぬ男が直美先生に捕まっている。

 「ちょっと待ってください!私はここの生徒です!!何もおかしなことはしていませんよ!!」

 そんな言葉も虚しく,男は直美先生に首根っこをつかまれ引きずられていく。

 「直美先生も朝から大変だな・・・。」

 そんなことをぼそりと呟いた。

 「日高くーん」

またもや後ろから声、振り向くと走ってきたのか下を向き息を切らした由愛の姿があった。

「おはよう。」

そう言って由愛は顔を上げて笑顔を見せる。

「ああ、おはよう」

それに順治も笑顔で返した。

順治が歩き出すと由愛もその右側を歩幅を合わせ歩く。

「それ、男子の制服だよね・・・、初めてみたよ。」

そう言って由愛はじーと順治の制服を眺めた。

「ああ、本当にあったのかって感じだろう」

順治は苦笑いをした。

「それより、野球部が正式に認められたよ。今日からちゃんとした活動ができる、当分は部員集めになるけどな。」

順治は由愛の顔を見てそう言った。

その順治の嬉しそうな顔を見て由愛も微笑む。

「そっか・・・今日からもう活動するんだね・・・私たちの部活・・・がんばらなくっちゃね。」

「ああ。」

桜の並木道はそこで途切れ昇降口の前。

「それじゃ放課後にな。」

「うん、がんばろうね。」

そう言って二人は別れた。

 

今日から正式に授業開始であったものの、ほとんどの授業が先生や生徒の自己紹介で終わってしまい、これといった変化もなくただただ時間だけが過ぎていく。

毎回同じように繰り返される自己紹介にさすがに飽き飽きしてか順治は窓からグラウンドを眺めながら大きくあくびをした。

 

そして放課後

「というわけで集まってみたわけだが・・・。」

順治は腕を組んで難しい顔をした。

「何していいか分からない・・・よね・・・。」

由愛も苦笑いをする。

「うーむ・・・、2人で練習って言うわけにも行かないしまずは部員集めになるんだろうけれどなぁ・・・。」

二人で腕を組んでうーんと唸る。

「何やってんのよ二人して。」

声は後ろから,その声に反応してか二人は振り向く

そこには以前見たユニフォームにサンバイザーがあった。

「ソフトボール部のキャプテン・・・?」

順治はあっけに取られて間抜けな声を上げる。

「木塚 舞よ、これでも3年なんだからね、あんたたちの先輩よ?」

舞はそう自己紹介するとブイサインを突き出した。

それを見て順治と由愛は目を丸くした。

「なに・・・?私がここにいたらまずい?どうせ何していいか分からないと唸ってるんじゃないかと思ってきてやったんじゃない。」

「さすが先輩良くお分かりで。」

そう言って順治はニシシと笑った。

「でしょうねぇ・・・二人でやれることなんてほとんどないものねぇ・・・、そこで提案なんだけど・・・。」

そう言うと舞は由愛に目をやる。

由愛はそれに気づいてか思わず身を縮めた。

「由愛ちゃんって言ったわね、あなた野球もソフトボールも未経験でしょ?」

その問いに

「はい・・・、ルールが少し分かるぐらいで・・・キャッチボールもしたことありません・・・。」

そう答えると由愛は気まずそうに下を向いた。

「それでなんだけど、どうせ二人でいてもまともに練習できないんだろうし、野球部の練習ができる人数になるまでは由愛ちゃんはソフトボール部で練習したほうがいいんじゃないかしら、もちろん基礎から教えるしまったく予備知識も持たずに野球の練習をするよりはいいと思うわ、でもお客として扱うわけじゃないから、当然厳しくもなるけれどね。」

その舞の言葉に順治と由愛は顔を見合わせた。

由愛は少し考え込むと答えた

「お願いします、私少しでも野球のこと知りたいしうまくなりたいんです。」

「じゃぁ 決まりね」

舞はニッと笑った。

「うん、それはいい考えだな、俺が教えるより断然いいだろうし、俺は部員集めに集中すればいい。」

順治がそう言うと舞も答える

「まぁそういうことね。」

「でも先輩、なんでそんな協力してくれるんだ?由愛を預かってくれるのは嬉しいけど、ソフト部には何のメリットもないだろ?」

その順治の言葉にん?と舞が反応する。

「困ったときはお互い様でしょ、それに面白いじゃない、こんな高校から野球部ができるのなら見てみたいもの。」

「はは、そりゃそうだ・・・。」

順治は苦笑した。

「それじゃ、あんたはしっかり部員を探しなさいよ。」

「ああ、由愛をよろしくな。」

舞はソフトボール部のグラウンドに戻る。

由愛もそれに続いた。

「由愛、がんばれよ。」

そう順治が言うと。

由愛も振り向き笑顔で答える。

「日高君もね。」

順治は、よし!と気合を入れると校舎に向かって走った。

 

体育館や校庭さまざまな場所で行なわれる部活を見て回る、途中出くわした部活見学の1年生に野球部の話を持ちかけるも失敗。

それもそのはず、女子にとって野球はほとんど縁のないスポーツといえるだろう。

選手としてプレイするならなおさらだ。

かといって早苗先生の言ったように試合用の要員を稼ぐことだけは避けたい。

欲しいのは練習に集中することのできる、やる気のある部員なのだ。

それを考えるとこの条件はなかなか難しい。

もともとやる気のある生徒は他のスポーツに打ち込んでいる。

いまさら野球を宣伝したとしてもその意味は皆無だろう、しかしやる気のない部員を集めただけでは甲子園息は絶望的だろう。

運動が苦手でもいい、やる気がある部員が必要なのだ。

気持ちさえあれは実力は後からついてくる、それが順治の考えだ。

「結局・・・何も収穫はなしか・・・情けない・・・。」

順治がグラウンドに戻ってくるとすでに日が沈みかけていた。

「どう?収穫はあった?」

「うぉ!?」

急に後ろから声がしたの不覚にも声を上げてしまった。

「なんだよ・・・木塚先輩か・・・。」

「何よ人を怪物みたいに・・・でもその調子だと収穫はなさそうね・・・。」

その言葉に順治は何かが突き刺さる感じを覚える。

「まぁ、そう簡単にいくようなもんじゃないわよ、やる気がない部員増やしても無駄だしね。」

それは順治も思っていたことだ、でも今はなるべくその内容は避けたい。

「由愛は?」

順治は舞の顔を見てたずねる。

「帰ったわよ、さすがにきつかったみたいね、初めての練習は。あんたを待つって言ってたけどあんまりふらふらだったから帰らせたわ。大丈夫ソフトの部員も一緒だから。」

「そうか・・・。」

由愛はがんばっている、そう思うと無性に自分が情けなかった。

「まぁ彼女を帰したのはもう1つ理由があるわ。」

そう言うと舞は野球のボールを順治に向かってほおる。

それを左手で順治はキャッチした。

「これは・・・?」

「これからはあんたの練習!さすがに何もしないわけにはいかないでしょ、それに中学地区大会優勝投手のピッチングを見ておきたいしね。」

そう言うと舞はボールをよこせとジェスチャーをする。

「肩慣らしは必要でしょ。グローブ持っているなら出しなさい。」

それを聞くと順治はすかさず鞄からグローブを取り出し左手に付け,ボールを舞いに投げた。

すると舞がグローブを構えた場所にすっぽりとボールが収まる。

「うん、キャッチボールのコントロールはしっかりしてるわね。」

そう言って舞はボールを順治に返した。

「さっき由愛ちゃんとこのボールを使ってキャッチボールしてたけど、フォームから教える羽目になっちゃったわ、初めてだから仕方ないけどさ。」

「わざわざ野球ボールを使って練習してくれたのか?」

順治はボールを取ると間をおかずにワンモーションで舞にボールを返す。

それもすっぽりとグローブに収まる。

「キャッチボールだけね、それ以外はソフトボール部の練習と同じよ。」

少しでも野球ボールの感覚をつかませる、本当に気の利く先輩だなと順治は感心した。

舞はどんどん後ろに下がりながら順治との間隔を広げていく。

そして数分間にわたるキャッチボールが終わった。

 

「肩慣らしはこんなもんでいいかしら。」

そう言うと舞は順治と一定の間隔をあけその場に腰を下ろすとキャッチャーマスクを着けた。

マウンドからホームベース

ピッチャーからキャッチャーの間隔。

「ああ、十分だ。」

順治はそう言うとマウンドに立つかのように構える。

「いつでもいいわよ。」

舞はミットを前に突き出す。

「いくよ。」

順治は大きくボールを振りかぶる

そして大きく足を上げると前方に向かって突き出し地面を強く踏む。

振り上げたグローブを前に突き出すと胸は大きく張り、体のバネを利用して右手を振り下ろす。

ズドン!!

舞のミットにボールが突き刺さった。

つっ・・・なんてコントロール・・・しっかり構えた場所に投げてくるなんて・・・それに速いし重い・・・。

ストレートの球威は脅威的だ・・・あの速さにこの重さが乗ればまず打てるボールではない。

速度は140キロぐらいかしら・・・

そんな舞の考えを読むかのように

「今ので大体130キロ。思いのほか速いだろ、よく言われるんだ、伸びがあるから通常より速く見えるってね。」

今のが・・・130・・・

舞はぞっとする。今のボールは順治にとって軽く投げた一球にすぎないと分かったからだ。

「次は140キロで投げて」

そう言うと舞は順治にボールを返す。

「了解。」

ボールを受け取ると順治はそう答えて再びボールを振りかぶる。

「いくよ。」

ビュッ

腕を振る音がキャッチャーまで聞こえてきそうな感覚。

ズバン!!

「つっ・・・。」

舞の口から声が漏れる・・・

ボールからミットに入ってきてくれるから取れる・・・これを自分から取ることはさすがにできないだろう。

「まだ・・・速くできる・・・?」

舞はボールを順治に返した。

「できるけど・・・。」

順治はボールを取る。

その言葉の濁りは舞を案じてのことだ。

それは舞い自身が一番感じていた。

「いいから投げて。」

そう言って舞はミットを構える。

舞にもプライドがあった。ソフトボール部キャッチャーとしての,全国を争う聖マリリアソフトボール部キャプテンとしての。

「わかった・・・いくよ・・・。」

さっき以上のプレッシャーが順治から舞いに流れ込む

キャッチャーマスクから覗く顔から汗が一筋流れるのが見える。

「きなさい!!」

順治は振りかぶった。

そして今までより力強く体を突き出す。

「おおぉ」

順治の口から声が漏れる。

手から離れたボールは一直線にミットを狙うかと思われたが、途中角度が切り替わるようにホップする。

!?

バシッ!!

ボールとともにミットが弾け後ろに飛ぶ。

ミットは舞の手から離れ宙を舞うと舞の後ろにぽとりと落ちた。

「うくっ・・・」

舞は左手を押さえた、

痛い・・・とんでもないボール・・・

この子・・・本物だ・・・

「大丈夫か。」

 順治が駆け寄ってくる。

 「今のが全力?」

 左手を押さえながら舞が問う。

 「今のが大体148キロぐらいかな・・・俺の中学最高速度は152だたけど・・・。」

 「じゃぁ全力じゃなかったんだ・・・。」

 順治はそれに対してコクリと頷いた。

 「まったく・・・落ち込むわよね・・・これでも都内で3本指に入るキャッチャーだって言われていたのに・・・。」

 「わるい・・・、痛かったろ。」

 順治が舞いの左手を取ろうとするとその腕を舞いは右手でつかむ。

 その舞の表情は真剣だ。

 「あなたの弱点がはっきりしたわ・・・。」

 「俺の弱点・・・!?」

 順治は目を丸くした。

 「今のボール、女じゃまず取ることができないわ・・・。この先そのボールが必ず必要になってくる。少なくともキャッチャーはよほど動体視力が良い人間,そして男である必要があるわ・・・。」

 そうだ・・・、確かに中学でも順治のボールを取れる選手はほとんどいなかったのだから・・・。

 「この学校には適任者がいない・・・のか・・・。」

 「そう・・・、少なくとも現段階であなたのボールを止められる生徒はいない・・・。」

 順治は下を向く、中学を腕一本で切り抜けてきた順治は、勝ち抜いていくことの難しさを知っている。

 しかし、その一番の武器を否定されつつある・・・。

 「どうしようもないのか・・・。」

 「女では取れないと断言できるわね・・・ここで野球を続けていくにはいろいろ厳しい制限がつくことになるわね・・・」

 野球部開始一日目。

 順治は大きな壁に突き当たった。