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2008.04.08 (Tue)

運命のエイプリルフール 

「本当に勉強したいのなら、本場を見てきなよ。本場でしか学べないこと、たくさんあるよ。」

芸大の恩師、角野裕先生のこんな一言が私の留学のきっかけだった。

忘れもしない2002年4月1日。

とてもお忙しい先生にやっとお時間を作って頂き、進路の相談をしていた時だった。

 

2000年春に大学卒業してもう2年経っていた。

仲間のほとんどが大学院進学か海外留学の道を歩む中、

私は全くフリーになる道を選んだ。

理由は簡単だ。あの当時の私には、音楽への情熱も夢も希望も目標もなかった。

”なんでピアノ弾いているんだろう・・・?”

恥ずかしいことに、大学4年間でこの答えは見つけられなかった。

正直、早く卒業して解放されたいという気持ちの方が強かったのだ。

 

嬉しいことに、学生の頃から見ていた生徒たちがたくさんいて忙しかったし、

また教える喜びも感じていた。

しかし、”大学行かなくていいし、好きな指導だけやっていればいい・・・”などと

喜んでいられたのは最初の半年くらいまでだった。

早く解放されたいと思うほど嫌だった演奏へ、情熱が蘇り始めていた。

情けないことに、私はやっぱり演奏が好きで、もっと自分の腕を磨きたいと

いう欲が芽生えたのが、卒業後のことだったのである。

 

そこで、今更ながら大学院進学し、また研鑽を積みたいと先生に相談していた時である。

先生の口から”留学”の言葉が出てきたときには正直とまどった。

実は、その頃すでにお世話になっていた平賀寿子先生にも何度も勧められていた。

しかし、留学なんてそんなに簡単なことじゃない。第一、私には先生探しやら、

語学勉強やら、下準備ができていない状況だった。経済的問題もある。

でも留学経験のある先生方の「本場を見てきなさい」という意味はよく理解できる。

可能ならやってみたい、という気持ちをずっとどこか心の奥にしまいこんでいたのかもしれない。

いつもの私なら「そこまで考えていません」ときっぱり断るところだが、その日は

自分の本当の気持ちに気付いていたので思わず黙ってしまった。

 

家に帰って両親に話すと、驚くことに大賛成してくれたが、

父には「行くなら卒業して帰ってきなさい」、母には「2年間だけよ」との条件を言い渡された。

その当時交際していた今の主人にも、「応援するよ」と言ってもらえた。

ひっそりと隠れていた自分の気持ちが、溢れ出てくるようだった。

周りの賛成に背中をおされ、迷いが決心に変わっていくのを感じた。

就いていた先生方の影響もあって、私にとって留学するならウィーンしか考えられなかった。

よし、ウィーンに行こう!と思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

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